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現在の僕らの生活は確かに科学とは切り放しにくい。
でも、普段の1日の暮らしの中では、科学の光や影を自分の問題として、
考える機会というのは、まぁ、滅多にない。
切り放しにくいと「確かに」感じながら、日常的にはその問題点には、
触れることが少ないというアンバランスさ。
このアンバランスさは、現在のまでの科学技術が長い時間を掛けて築いてきた
信頼感と安心感という恩恵でもあるのだけれど、この本は、
なんとなく大丈夫という感覚に覆われているものの内側にも、
目を向けてみることの恐ろしさと面白さに改めて気付かせてくれる。
リサーチという名の探求心は時代を切り拓くメスであったのだが、
ものごとをもっと究めたいという欲は、
自らを傷つける鋭利な刃に転化しうる。
でも、そんなことは、
自ら血を流してみないとなかなかわからないもんなんだよなぁ。
と、この本を読んでいると、ふと時代や社会と、
自らの人生の共通項を感じたりもする。
作者の柴田鉄冶氏が先端の医療技術を「際どい」と表しているように、
科学も、科学がもたらすものごとも、
そもそも、利便性と危険性という二面性を共にはらんだもので、
どちらかを選べば話は済むという単純な代物ではない、
という、なんか小学生でも理解できる話を、
改めて思い至らされる、という情けない話ではあるのだが。
ただ、「際」(きわ)というのは距離感が測りにくい。
時代や社会との距離感も測りにくい中で、
科学ぐらいは安心という簡単なモノサシですまさせてくれよー、
と言いたい気分もなくはない。
なぜなら、この気分には、当事者であるという意識がないのだから。
柴田氏には悪いけれど、いまどきメディアが何を書いても、
それは自分の問題ではない、の一言で終わりなのだ。
もう、勘弁してくれ、
これ以上わずらわしいことには関わらせるのはやめてくれ、と。
でも、そう言い切れない自分もいる。
さて、じゃ、この本を誰に、読んでみて、と話しかけてみようか。
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